「天皇」とは その1(関塾長)

「天皇」とは

「天皇」という熟語を何とよむのか。

実は、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど難解なのです。

まず、いつから「てんのう」と呼んだのか、はっきりしません。

たとえば、源氏物語なら「みかど」であるし、そもそも日記や文書で、天皇を直接的に天皇などと書かないのです。

万葉集を見ると、「天皇」という文字は使われているのですが、この2文字はスメラミコトやスメロキなどとよむのが一般的で、テンノウなどと読みません。

また、万葉集では、天皇に向かって詠んだ歌の中に、その天皇を指して「大王」と書いてあり、これをオオキミと読むのが一般的です。

天皇に向かってはオオキミといい、天皇をさす言葉はスメロキだったと、単純に考えてよいのかわかりません。

しかし、間違いなく「天皇」を「天皇」と書いた時はわかっています。

「大宝律令」と呼ばれる法律に明記されているから、それ以降は「天皇」と記述されたのは間違いないのです。

しかし、この場合の「天皇」もふりがなが振ってないので、何と読むのかはわかりません。

法律ですから、漢語をそのまま大陸の発音で読んだのかも知れません。でも、その場合は、テンノウではなく、その前の漢字の発音そのままのテンオウだったと想像されます。

テンオウのン{nn}とオ{o}がいつのまにかくっついてンノ{nno}という発音に変化したのです。

それがいつのことなのか、明確にするのは大変です。

「大宝律令」の前に存在していたと考えられる天武天皇の「飛鳥浄御原令」やさらにその前の天智天皇の「近江令」に「天皇」という記述が存在したとすれば、「天皇」は、天智天皇や天武天皇の時代から使われていたと言えるでしょうが、2つの令は見つかっていないので、やはり確かなことはわかりません。

かつては、法隆寺にある仏像の光背の裏側に刻まれている文章の中に「天皇」の文字が見えることから、「天皇」は推古天皇の時代から使われたと想像されていました。

しかし、仏像自体が推古天皇の時代に作られたモノだとしても、光背の文字がその時に刻まれたとは確証がないと、現在はこれを後世のものと考えるようになっています。

ともかく、ある天皇から「天皇」と表記されるようになったわけですが、ではそれ以前は何と呼ばれていたのかが次の問題になります。

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